ヘタリアなど
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ロンドンオリンピックの年からずっと重苦しい空気が生活全体にのしかかってっている。
夜寝ていても忍び寄ってくるのこの重圧の気配にロンドンオリンピックの年以降、ずっと苦しんでいる。
街に出ると、人々は、何のことはないという顔で、普通に生活しているというのに。
それは、天空にオーロラのようにかかるこのような色の・・・重圧。
それを権力と呼ぶのかもしれない。
眠ろうとすると、まどろみの空間に、なぜかこんな色の旗が出てきてしまう。
日によっては、紫がもっと青みを帯びている日もあり、そんな日は黒い色がグレーっぽく霞んで見える。
なぜこんなに苦し~の!?
眠れない体質じゃないのよ、どっちかっていうと目覚ましが鳴っても起きないタイプなのに。
街行く人は、オリンピックが終わった後も、イギリスの右翼団体の活動家か何かのように、
イギリスの国旗をあしらった目立つ服装をして歩いている。
オリンピックが終わった後も、オリンピックの高揚感を閉じ込めた、フィールドは存在し続け、そのフィールドの中だけ、一様に、「普通の生活時間」が流れているようにも見える。
オリンピックは同じフィールドでタイムや技を競う。
フィールドは、個性的な選手を求めているのではなく、一様に、高い能力を求めているそうなのだ。
演技にミスがないのが普通だし、全員同じ成績なのが普通だ。
ところが、成績はバラバラ。それは能力の差だということだ。
人々は、金メダリストの演技のビデオなどを繰り返し見たりしながら、同じ演技をしようとするそうだ。
しかし、金メダリストと同じ演技を真似するではなく、更にその上を目指すのだそうだ。
それは、競技者の最も理想とする境地は更に先にあるのだという発見でもあるのかもしれない。
ロンドンオリンピックの競技場で開催された開会式は、TV中継で見て、とても印象的だった。
製鉄所を模した大掛かりなアトラクションが組まれ、その中では人々が製鉄をし、汗を流している。
また、別の草原では、イギリス伝統の、羊の放牧をしているのどかな風景が見える。
一方ロンドンで大人気のメアリーポピンズが、パラソルを持ってひらりと空から舞い降りる。
そこは、病院。
すると、病人どもはベッドから起き上がって、元気に踊りだす。
音楽に合わせて、いっせいに、同じように。
病棟から出た病人は、再び製鉄や、放牧のため戻っていくのかもしれない。
彼らにはオリンピック競技会は、何の関係もない。
彼らは病気が癒えて、元の生産活動に従事するだけだから。
彼らは自分がフィールドの中で生活していることが分からない。
でも、彼らは覚えている、一番になるために何をすればいいのかを・・
それは自分の個性を否定し、最も合理的な人間に生まれ変わることだ。
同じ服を動作をする、同じ服を着るということは能力なのだ。
その後、競技会が始まるのだ。
日本の街角にはメアリーポピンズが舞い降りたのかもしれない。
テニスラケットを握れ!
英会話教室に通え!
24時間勉強机に向かって東大を目指せ!
そしてハーバード大学に留学しろ!
憧れの人と同じ服を買い、同じように纏い、同じ動作をするということは、同じ恋愛をし、同じ感情を体験し、同じ服を得て、同じ人生を送るということなのかもしれない。
まるで人形のように、シャドウイングすることこそが、最も優秀な能力を持った人間の証だ。
人々は一番になろうと流行の服をこぞって纏い、同じ話し方を習得し、同じ生活用品をそろえ、同等の生活能力があることを見せようとする。
外交官になれ!
それは、日本人が目指すかつての金メダリストの更に上を行く、理想の君主への第一歩。
外務省に入省するには、東京大学に入ってね。
巷でよく言う「幸せ」の、ある一形態を目指すという努力は、様々な場面で行われる。
例えば自分が競技場に向かうフィールドに存在していることに気づいていない、生産者や労働者の存在する地域でも。
オリンピックに出場できる人々は、代表者選考会で選ばれたごくひと握りの人々だけだ。
日本では、街のある部分でだけ「普通の時間」が流れる。
その中で生活できるのは、ごく一握りの限られた人々だけになるということは、普通で当たり前のことなのだ。