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Britain makes Israel again

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Britain makes Israel again

イスラエルという国は、古代に幾度も興り、そして滅亡している。



滅亡した国への愛着はどのように続くのだろうか?

たとえば、私は日本人だけれど、ふと目にした外国の写真が忘れられなかったりすることがある。

現在外国人でも、ふと目にした古代イスラエルの考古遺物などを見て、とつぜん心からその存在が忘れられなくなるのかもしれない。

そして、人によってはそれを、神からの啓示だと考えてしまう。


イスラエルは元々小さな国だったようだ。

歴史を見るとバビロン捕囚の時代から、その独立は保てなくなっている。

ローマ帝国の属州として吸収されたあと、ペルシアの侵攻、イスラム帝国、マムルーク朝の支配と全ての時代を通して、その国の存在は限りなく小さい。


近代に、イスラエルは再び興った。

イギリスがシオニストを支援し、バルフォア宣言を発表したからだ。

イスラエルは、イギリスの庇護の下、独立した国家として再生を始めている。



それだけではない。

イギリスは世界中にイスラエルのような国が沢山あることを知っている。

実はイギリス王国さえ、その国家のひとつだ。

最近EUの諸王国もその仲間入りを果たしたようだ。

2013年10月、新しいオランダ国王は、エリザベス女王の使いとしてスェーデンを訪れたのだろうか?

オランダ・スウェーデン・・それは実態のない国ではない。

この公式写真が示すように、国は存在し、国民は独自の文化を守って暮らしている。

日本の国王がエリザベス女王に挨拶する。

イギリス風に言うと、「日本王国は存在している」「そして、国は国王が治めている。」。

”君臨すれども統治せず”とは、何も知らない人々の理解を妨げる、うまい言い逃れ方だと思う。




イスラエルが崩壊するとき、イギリスのユダヤ人国家への支援も途絶える。


wikiにのっている近代イスラエルの年表

1798年-1878年 - セルビアに住むセファルディム系の宗教的指導者ラビ・イェフダー・アルカライが聖地での贖罪を前提とした帰還を唱える。
1856年 - 医者であり作家でもあるルートヴィヒ・フォン・フランクルが聖地巡礼。エルサレム・ユダヤ人学校(Lämel Schule)を設立。
1881年 - 古代ヘブライ語を復活させたエリエゼル・ベン・イェフダーがイスラエルの地に帰還、ヘブライ語の復興・普及運動を開始。この頃、パレスチナに47万人のアラブ人がいた。
1882年 - 第一次アリヤー(ヘブライ語で「上がる」こと、シオン(エルサレム)への帰還の意) - 東ヨーロッパからの大規模な帰還
1897年 - 第1回シオニスト会議:後にイスラエル国歌となるハティクヴァがシオニズム讃歌となる。
1901年 - 第5回シオニスト会議:シオニズムとは国家か、文化か、宗教復興か、何を優先するか鋭い対立の後、ヘブライ大学の創設を可決。
1902年 - ヘブライ語を話す家庭はわずかに10家族。
1904年 - 第二次アリヤー:ベン・イェフダーへの賛同者が増え、ヘブライ語で授業を行う学校が増えていく。
1909年 - ルーマニアからの移民がテル・アビーブ建設。

サイクス=ピコ協定により分割された中東1917年
11月2日 - 英国外相バルフォアがシオニズム支持を表明する(バルフォア宣言)。
12月 - 英国軍、オスマン軍を破り、エルサレム入城。
1920年2月8日 - 英国軍需相ウィンストン・チャーチル、「Illustrated Sunday Herald」紙でユダヤ人国家支持を表明。

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