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自分は何人?といわれても

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自分は何人?といわれても

私は昔の日本人と、全く違う文化を生きていて、しかも親世代からでさえ、最近のヤングカルチャーはもう全然だめ、とかいわれる。


10年位前、私は、日本人の感覚を知りたいと思い、小旅行に行ったことがある。


大和朝廷は近畿地方にあったそうだ。


学校の教科書には藤ノ木古墳の出土品の銅製の靴や飾りのついた剣の写真があった。



金銅製の沓。金属飾りがついていて、歩くとシャラシャラ鳴るらしい。



見たこともない副葬品の細長い剣。宝石がちりばめられているみたい。


古代の高貴な人(王子のような)の持ち物だと書いてあった。


日本は中国から様々な文化を輸入しているから、血筋のある人によっては中国のことを思い出す人もいるのかもしれない。


日本のお隣の朝鮮半島でも似たような考古出土品はあるそうで、何も知らない人が、突然朝鮮半島のことを思い出すこともあるのかもしれない。それは、先祖の血筋が原因なのかもしれない。




関東地方にも古代の古墳が点在しているが、私は藤ノ木古墳に行って、昔の日本人を見たいと思った。どうせ出かけるならと、ついでに出雲にも寄ることにした。


私の知る日本の歴史では、大和朝廷の前は、出雲神話の国造りだからだ。


まず、出雲駅からバスに乗換えて、玉造温泉に行った。4~5世紀頃の小さな古墳が点在している地域だそう。誰もいない小高い丘の上に石の穴倉があって、横に立て札が立ててあった。大和朝廷が出来る前は、ここに沢山高貴な人が住んでいたのかもしれないと思った。


その後、出雲に戻って、神魂(かもす)神社というところへ行った。日本の始祖イザナギ命とイザナミ命を神様として祭っていて、古代の神話を感じるかも・・と案内の人に教えてもらって、ワクワクしながら訪ねた。戦災を免れたそうでよかったですね。


乗換え時間が合わず出雲大社は見れなかった・・。まだ、夏だったので夜は駅で一夜を過ごして次の日の朝、宍道湖を眺望できる日帰り温泉にゆっくり入ってから、京都へ向かった。




京都に着いたら、乗換えて、奈良の古墳を見に行った。


小雨の田んぼのあぜ道をうろうろと歩きながら、案内板をたどっていくと、小高い丘みたいなところに、金網が張ってあって、ブルーシートが敷いてあった。発掘作業中で立ち入り禁止とのこと。丘の頂上へ続く道の入り口(?)は空いていたが、雨でぬかるみの山を登るのはあきらめた。


・・素敵な副葬品はどこ?


まさか野ざらしで展示・・なわけはない。




数年後のことですが、斑鳩文化センターが整備されて、古墳を詳細に見学できるようになったようです。


被葬者は不明だそうだが、雄略天皇の近親者だったりして?(雄略天皇は、中国の資料に倭王武という名前で登場する日本の偉大な王らしい。)



何にも見れなかったので、ついでに、春日大社にも行った。


社の赤い柱はお姫様にぴったりの高貴な色だったに違いない。


羽衣は、冬は暖かく夏は涼しいという魔法のきぬらしい。


私は、羽衣を着た人が、昔は本当にいたのかもしれないと思っている。


日本の肖像画のお姫様が、羽衣を着なくなった頃、十二単と言う厚着な宮廷衣装が登場している。


魔法のきぬはどこへ?




宍道湖を眺めながら、温泉に入ったことが、一番の古代ぽい体験になった。自分は古代も日本人だったかもしれないと思った。


古代の人も宍道湖に反射する太陽の光を毎日眺めたに違いない。

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