ヘタリアなど
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パリ同時多発テロの発生から13日で1カ月を迎える。「テロとの戦い」が激しさを増す中で、欧米では排外主義が忍び寄る。イスラム学者でアラブ社会の要人とも交流を重ねてきた東大寺の森本公誠長老(81)に今の思いを尋ねた。【聞き手・八田浩輔】
今回、襲撃犯が「アッラー・アクバル」(神は偉大なり)と叫びながら発砲したと報じられています。でもイスラム世界では日常的に「アッラー」という言葉を使います。我々とは神の観念が違う。その意味では襲撃犯の言葉は「やった、やった」という程度かもしれません。その言葉だけでイスラムを大義に掲げた行為だとみるのは、ポイントがずれていると思います。
フランスでは(襲撃犯を含む)イスラム系移民は2世、3世の時代です。宗教に抵触するから産児制限をせず、出生率は高いが職はない。精神的な救いの道を見つけられず、今回のような行動に走るのかとも想像してしまう。日本にもいるでしょう。「誰でもいいから殺したかった」とか(言う人が)。もっと深い精神的な悩みなどをみる必要があるのではないでしょうか。
イスラム教徒は、仏教徒のことを(イスラムで禁じられた)偶像崇拝教徒だと規定しています。1999年にイランのロウハニ大統領(当時は国会副議長)が東大寺に来られた際に「なぜ形あるものを拝むのか」と聞かれました。
私は「我々は形そのものを拝んでいるわけではない。イスラムはコーランの言葉による救いがあるように、仏教では形を通して教えを説く」と説明しました。ロウハニさんは「分かった。だけどイスラム教徒に浸透するには時間がかかるだろう」と言われました。
その2年後、国連が「文明間の対話年」と定めた年にアフガニスタンのバーミヤンで当時のタリバン政権が大仏を爆破しました。
対話が必要だと分かっていても反発する力が生じ、せっかく芽生えたムードが壊される。それから悪いことばかり続いています。9・11(米同時多発テロ)が起き、その結果としてのアフガニスタン空爆、イラク戦争。
今回も米軍主導の有志国連合による過激派組織「イスラム国」(IS)への空爆が実施され、ロシアまで空爆しています。しかし、それで問題が解決するとは思えません。空爆では全く罪のない人まで死んでしまう。生き残った家族が恨みに思うのは当然です。テロを起こす人間がまた生まれ、テロリストに物理的、精神的な利益を与える。
また、レンガや石造りの建物が多い中東では、がれきが積み上がり簡単に復興もできない。難民として逃れた人が故郷に帰りたいと思っても、一体誰がその片付けをするのでしょうか。
【略歴】もりもと・こうせい 1934年生まれ。15歳で東大寺に入寺。京都大でイスラム研究を志し、60年代初頭にエジプトに留学。イスラム世界を代表する歴史哲学者イブン・ハルドゥーンの大著「歴史序説」の翻訳と研究など多くの業績がある。
http://mainichi.jp/articles/20151212/k00/00m/030/116000c
2日前の毎日新聞の記事です。
東大寺って言うと仏教の総本山です。でも、ちょっとイスラムっていう感じになってる・・?
日本は東西に分かれているわけではなくガイアナとスリナムに分かれるという感じでしょうか?
今、イスラムが排斥されるのはインドのせいなのか?という大きな疑問があります。
そのせいなのかなんか今日もインドがやられてないか?
インドじゃないんだよイラクとかシリアとかいう名前。なんか苦しい・・
そして仏教徒はイスラム教が救いだと言われる。形ある全てのものを救うといっている。
しかしこんなに食べるものがなくなってもまだあなたはインドを(もしくは、仏教・イスラム教を)信じるのですか?とも言われる。
<要約>
発生 排外主義イスラム学者交流
森本の思い
発砲。
我々とは違う。その意味では襲撃犯。
イスラムを大義と思います。
宗教に抵触する精神的な救い、悩みなどをみるイスラム教。
形あるものを、形そのものをイスラムは救い、教えを説く。
「分かった。イスラム教徒に浸透する」
力が生じ、せっかく芽生えたムードが続いています。
それで問題が人まで死んでしまう。人間がまた生まれ、積み上がり逃れた人が故郷に帰りたいと思ってもその歴史哲学者イブン・ハルドゥーンの大著「歴史序説」がある。
要約をもう一つ追加します
東大寺神は偉大なりと報じられて言葉を使います。
「やった、やった」
(その言葉だけでイスラムを大義に掲げた行為だとみるのは、ポイントがずれていると思います。)
宗教に救いの道を。
今回のような行動に、誰でもいいから、とか東大寺に来られた。
我々は形、仏教、時間。
対話が起き、テロを起こす人間がまた生まれ、テロリストに物理的、精神的な利益を与える。