ヘタリアなど
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
戦国時代の末、日本には外国人がいたらいいですが、今末裔を名乗る人は殆どいないようだ。
みんな物資を貰って、日本から、故郷の国へ帰還した?知りたくて年表をまとめてみた。
ローマはその頃の世界の中心だったらしいけれど、年表を見る限り、イタリア半島では激戦が繰り広げられていたらしい。
日本に漂流してきたのは、キリスト教布教とか言ってる敗軍の将だったりするのかと思ったが、、日本からカール5世に使節団を送ったということは、ありえない話のような気もする。
イタリア戦争にポルトガルの名前はあまり出ていない。ポルトガルは何をしていたんだろう?
イエズス会の本部は、ローマにあるそうなので、イタリア戦争に全く無関係と言うわけでもなさそうだ。
日本とか、マカオがヨーロッパの罪人の住処(流刑の地)でないならば、キリスト教の聖人を目指す人が戦乱を避けるように、来航し、住んだに違いない。
最終的に日本は関が原の合戦のあと、鎖国して、キリスト教徒を迫害し、彼らを追い出したということなんだろうか。
イスラエルはキリスト教の聖書の神の国らしい。
その頃は、イスラエルは消滅していてなかった。(イスラエル王国は、紀元前に消滅)
「1798年-1878年 - セルビアに住むセファルディム系の宗教的指導者ラビ・イェフダー・アルカライが聖地での贖罪を前提とした帰還を唱える。」
イスラエルは、人々の尽力により、最近また建国されて、このあいだオリンピックに出場もして、国旗も出ていた。
調べたところ、ルーマニアからの移民が多いらしい。いつも、迫害されていたキリスト教徒は、もう世界を放浪しなくていい。イスラエルと言う国が建国されたんだから、イスラエルに帰ることができるらしい。国語は、一応イエス・キリストが話していたとされている、ヘブライ語。
ポルトガル王国
1143年 ポルトガル王国設立
1415年 セウタ攻略
1482年 コンゴ王国到達
1488年 ディアス提督による喜望峰到達
1492年 コロンブスによるアメリカ到達
1494年 イタリア戦争
1498年 ガマによるインド到達
1500年 カブラルによるブラジル発見
1509年 ディヴ沖海戦勝利によるインド洋の制海権掌握
1519年 ハプスブルグ家のカール5世が神聖ローマ皇帝として即位
1521年 (- 1526年)第1次イタリア戦争
1526年 (- 1529年)第2次イタリア戦争
1529年 ジェノヴァがカール5世の支援を受け、フランスの支配下を脱する。
◎ボローニャにイタリア諸国(メディチ家追放中のフィレンツェを除く)が集まり、カール5世に服することを決める。
◎オスマン帝国による第一次ウィーン包囲(9月 - 10月)。
◎「貴婦人の和約」でフランスは賠償金を支払い、イタリアを放棄(10月)。
1530年 教皇クレメンス7世がカール5世に戴冠式を行う。
◎フィレンツェが皇帝軍に包囲され、凄惨な戦闘の末に敗北。
◎メディチ家が復帰する(メディチ家はハプスブルク家との結びつきを深め、フィレンツェの支配体制を確立する)。
1536年 ( - 1538年)第3次イタリア戦争
1542年 ( - 1544年)第4次イタリア戦争
1557年 明から、マカオの居住権を得る
1559年 カトー・カンブレジ条約。フランスがイタリアへの権利を放棄し、スペインのナポリ統治が確定する。また神聖ローマ帝国(オーストリア・ハプスブルク家)がミラノ公国を領有することが認められる。これによってイタリア戦争は完全に終結する。
日本
1543年9月23日(旧暦8月25日) 種子島に漂着したポルトガル人
1549年8月15日 フランシスコザビエル来日
1592年朱印船貿易の許可
日本人町の形成 東南アジア アユタヤ プノンペン アンボイナなど
(1600年代~鎖国政策で、現地人と同化)
1600年 江戸幕府成立
1609年 オランダ商館 開設
1612年 幕領に禁教令
1616年(元和2年)明朝以外の船の入港を長崎・平戸に限定する。
1623年(元和9年)イギリス、平戸商館を閉鎖。
1624年(寛永元年)スペインとの国交を断絶、来航を禁止。
1628年(寛永5年)タイオワン事件の影響で、オランダ商館閉鎖。(32年再開)