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Everybody hates Japan-もちメリカの考古学③

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Everybody hates Japan-もちメリカの考古学③

私の母が沖縄人ごっこをする前は何をやっていたか?

思い出してみたら、なんだ、中国人ですよ、(多分共産党の)中国人をやってたと思う。




母が、珍しく、私に映画のチケットが当たったから一緒に行こうと誘ってきたことがあった。

そして、ある休日に、三百人劇場という小さな劇場に連れて行かれた。

都内には、けっこう小さな映画館が点在しているものだ。

普段は大きなところしか行かないので初めて行った。

上映タイトルは、紅いコーリャンという中国の映画だった。

チャン・イーモウという中国の監督が母の大のお気に入りだそうだ。

岩波ホールで初恋の来た道、宗家の三姉妹、山の郵便配達(だったか?)などをみて、とても感動してしまい、パンフレット買って帰ったくらいだそうだ。

再上映するほど人気があるそうで、そのチケットが当たったのだそうだ。




突然見せられたその映画は、かなり、意味不明だった。

ある、花嫁は略奪されてしまう。そして、酒屋に住み着いている男に拘束される。女は、助けも来ないため、諦めて暮らしている。

女は、酒屋の片隅で暮らしながら、さまざまな光景を見てしまう、時は、第1次世界大戦(くらいの時代?)・・だったから。

男は、酒に水どころか自分の汚物を混ぜて薄めて売っている。

水道が出ないのだ。

映画には日本人も出てきた。人間の皮を剥ぐという残虐非道な行いを中国人に命令したりしていたという。


それは、とても日本文化を髣髴とさせるシーンだそうだ。

日本での伝統的な処刑方法といったら、首を切って、木の台に載せるとか、有名なのは京都の粟田口での処刑だが、その方法は磔だ。あとは、切腹だ!


そのシーンを見て、私は、中国の妖怪小説を思い出した。

男が、ある夜1人で歩いていると、芳しい花簪をつけた美しい女に出会う。

女は、男に声をかける。「美しい私と、一緒にお話しませんか?」

男は、毎晩、その女と会うことにする。

ある晩、待ち合わせに女が遅れたことを心配し、男はある館に様子を見に行く。

すると、干からびた恐ろしい形相の老婆が、あの美しい女の皮を着ているところだった。

女は、すでに事切れて長い時間が経っているようだった。

男は、そ知らぬふりをして、待ち合わせの場所に戻った。

しばらくすると、いつもの花簪をつけて、女がやってきた。

彼女は、今日もとても美しいのだ、しかしその容姿からは死の匂いが立ち込めているようだった。



それにしても、中国は共産党の国だ。

母はどうしてそんな危険な国の映画を好むのだろうか?チャン・イーモウとはどんな人物なんだろうか?

しばらくして、彼の映画は、私がよく見に行っている大きな映画館のスクリーンに登場した。

英雄-HERO-、単騎千里を走る などだ。

-HERO-に出ているのは中国の軍隊だ。そんな映画にナゼ日本人が・・?

秦の始皇帝の時代は私の一部の先祖は、中国人だったかもしれない。

聞きなれない琴の演奏や、鉄器の音を聞くと何か不思議な感覚になる。

だけど、それはすご~く昔の話だ。

でも、彼の映画にはいつも何かしらの形で日本人が関わっている。






母は、私を韓国の焼き肉屋に連れて行ってくれたり、中華料理の店で、紹興酒をおごってくれた。

映画を見た後で、紹興酒はあまり美味しい飲み物ではなかった。

韓国の焼き肉屋には、漢字で書いてある屏風みたいなものがかけてあった。何が書いてあるかは読めなかった。その店はすぐに台湾の料理の店に変わった。

おでんと、豆腐の店もお気に入りだった。






もともと、私の両親ともにあまり料理をするのは好きではないようだ。

母は、貴重な労働力として、子供を生んだようだ。

私が、小学校2年生になってすぐ、母に

もうお友達は家でお料理しているんじゃない?あなただけ、なんか子供みたい。みんなと違うとクラスで浮いちゃうんじゃない?」なんて怒られたこともある。

私は、働いて給料をもらったら食べ放題に行くんだと心に決めていた。

本当は、食べ放題のお店に代金を支払えば、料理をせずに、食べ放題なのだ。

面倒な後片付けもない。

しかし、なぜか母は、食べ放題をあまり気に入らなかった。

それどころか、私の好きな居酒屋メニューはことごとく気に入らなかった。



自宅近くに部屋を借りて1人暮らしをするようになったころのことだ。

母は毎日のように、仕事が終わって、夕食時間頃になるとやってくるので、なんだか知らないうちに私の部屋で食事をするのが決まりみたいになってしまった。

だって~今日の仕事の愚痴とか~誰に聞いてもらうの?

お母さんもう疲れちゃった~あ~あ、ここにいるとラクチン~。」

という母は当然顔で、ほとんど毎日食事をしに来た。

私は2人分の食費をまかなわなければならなかった。

母は、私には、食費どころか小遣いすら1円も支払わなかった。私も中華料理店をやると代金を払ってもらえたのかもしれない。しかし、そこは外国だ。。。




私の父は、母の料理が気に入らず、仕事場で嫌いな弁当のおかずをゴミ箱に入れて捨てていることを同僚に密告され、それ以後、料理を作ってもらえなくなった。

彼はほとんどの日を外食をして暮らしている。

作ればいいのに・・と思うが・・・作らない。






昔のことで、とても記憶に残っている出来事がある。

母が出かけてしまい、小さな子供と父だけが部屋に取り残された。

私は「カレーがいい、カレー作って」と言ったところ、なぜか激昂した父にぶたれた。

カレーくらいで何を激怒したのだろうか?!未だに意味が分からない。

彼はカレーが大嫌いなのか、それとも本当に料理が出来なかったのかもしれない。


私が小学校の家庭科の時間でカレーの作り方を習ってからは、私のほうが得意になってしまった。


彼は、フィリピンへ行ってしまった。

一度チケットをプレゼントしてもらい、様子を見に行ったことがある。



冷蔵庫を開けてびっくり!

スプライトとマンゴージュースが並んでいる・・!!

そういえば、スプライト、日本では見かけなくなったな~。

スプライトを買いにフィリピンへ!?



何か日本語みたいな看板の出ているお店にも連れて行ってもらった。

オーナーさんはアメリカ人みたいだった。

フィリピンで、日本びいきとは一体どういうこと?!と一瞬いぶかしく思った。

しかし、店内は英語の会話が飛び交っている・・。


ここ日本じゃないの、と言って断るにはアメリカ英語が便利でしょうー。

看板だけ出しておくと、勘違いした日本人が寄ってくる!

みたいな感じのようです。



しかし、スペイン統治時代も長く、博物館で見た美しいカリグラフィーの手紙の数々は全てスペイン語と思われる・・。


独立の時にはフランスの力を借りたり、最後はアメリカによって占領され、勝ったわけで・・何か色々な事情があるそうですが、町にはマクドナルドとかいっぱいありましたよ。


なんだーみんなマック行くのか~。メニューだけなら日本で食べても同じじゃん。

ということで、父が何となく近場の英語圏に住みたいらしいということが分かった。

そういえば、彼の嫌いなカレーを、フィリピンでは見かけなかった。

日本は、マックの隣にcoco壱●館とか看板が出ているからな~。そういうのが嫌なのかもしれない。

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