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2015/06/11 05:22:08近江の国(滋賀県)の大名、浅井長政は、京都に上洛を果たした織田信長公の親戚でした。
浅井長政には3人の娘がおり、淀、初、江という名前だったそうです。
親戚の織田信長公へ反旗を翻した明智光秀の本能寺の変を皮切りに、近江の国は動乱に巻き込まれたそうです。
3人の姉妹は、本能寺の変のあとは、3日天下と呼ばれた明智光秀の京都粟田口での処刑を目撃する群衆の中にいたそうです。
その後も、炎上する城を転々としながら、様々な場所に身を寄せたそうです。
長女の淀の方は夫の柴田勝家と死別した後は、太閤豊臣秀吉の正室におさまり、世継ぎの秀頼公をもうけます。
しかし太閤豊臣秀吉の死後、大阪城は包囲されてしまいます。
近江の大名、浅井長政は亡くなってしまっていて、淀の方が意見を必要としたときに本当に頼れる人はいなかったのです。
残された淀の方は幼い秀頼公と一緒に政治の場に座ることになり、波乱万丈の人生を送ります。
次女の初は、京極高次という公家のような高貴そうな苗字の貴公子の末裔に嫁ぎます。
三女の江は、姉の淀の方の敵の徳川家2代将軍秀忠公の正室となり、お江与の方と呼ばれ、北の政所をあずかるようになりました。
関が原の合戦を経て、とうとう天下泰平の江戸時代が始まります。
夫の秀忠公の治世になって、世継ぎ問題が発覚しますが、お江与の方の住む奥の間は、静かだったそうです。